銀河鉄道999の著者
漫画家松本零士
999を生んだ思い出の地新谷
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愛媛県大洲市 えひめけんおおずし
松山から車で40分
JRで35分
松山自動車道
大洲IC
大洲市のご紹介
詩情ゆたかな城下町。
匂いただよう伊予の小京都
電信黎明の地 日本初の電信実験の地
平成30年7月7日 西日本豪雨により大洲市は甚大なる浸水被害を受けました。
全国の方からあたたかいお言葉やご支援を頂き、現在復興に向け「がんばろう大洲!」を合言葉に頑張っております。
死者4人・住宅浸水3111棟・損壊14棟・事業所989箇所・避難者数1469人
30.7.5災害救助法適用
大洲市公式ホームページ http://www.city.ozu.ehime.jp/
大洲城 大洲城は、鎌倉時代末期、伊予国の守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城(じぞうがだけじょう)が始まりといわれています。激動の戦国時代を経て、小早川隆景が伊予を平定した後、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治が相次いで城主となりますが、このころ4層4階の天守を中心とした本格的な近世城郭に整備されたのではないかと考えられています。元和3年(1617)米子から加藤貞泰が入城しました。以後、明治維新を迎えるまで加藤氏が6万石の城主としてこの地を治めました。明治維新後、幕藩体制が崩壊し、明治21年(1888)には天守も取り壊されました。しかし、4棟の櫓は解体をまぬがれ、いずれも国の重要文化財に指定されています。城跡も県史跡に指定され今日も大切に保存されています。4層4階の天守は、明治期の古写真や「天守雛形(ひながた)」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料をもとに平成16年(2004)に木造で復元したものです。重要文化財の台所櫓、高欄櫓とL字型に多聞櫓で連結し、複連結式天守と呼ばれる構えを成しており、これら全ての建物を観覧することができます。 |
名刹・如法寺(にょほうじ)、古い蔵屋敷跡が並ぶ“おはなはん通り”や明治の面影を伝えるおおず赤煉瓦館にも趣きがあります。四国八十八ヶ所の番外札所十夜ヶ橋(とよがばし)、高山(たかやま)メンヒル(巨石遺跡)、新谷(にいや)藩の陣屋敷跡麟鳳閣(りんぽうかく)、新谷花菖蒲園、矢落川(やおちがわ)上流の源氏ボタルの里などの見どころに加え、清流肱川の風物詩うかいや花火大会、いもたきなど四季折々の楽しみがいっぱいです。 |
(6月1日〜9月20日) 昭和32年に始まった肱川の観光うかいは、今では「日本三大うかい」の一つに数えられるまでに発展しました。あかあかと篝火を灯した鵜船と屋形船が一体となり、漆黒の川面をゆるやかに川を下る光景は、水郷大洲の夏の風物詩となっています。屋形船の上では風味豊かな郷土料理を味わいながら、鵜匠と鵜が織りなす妙技に拍手を送り、詩情溢れる夏の一夜が過ぎていきます。 |
臥龍山荘 いにしえ人の美学を堪能する幽遠な山水の世界− 「大洲の桂離宮」といわれる臥龍山荘(がりゅうさんそう)は、肱川流域随一の景勝地、臥龍淵に臨む三千坪の庭園です。神楽山を背に、冨士山、梁瀬山、亀山と、肱川、如法寺河原を借景とした庭園は、自然と人工の典雅な調和を見せています。臥龍院、不老庵(ふろうあん)、知止庵(ちしあん)の三建築は、それぞれ数寄を凝らした名建築で、数寄屋造の一つの典型とされています。山荘内は庭石から花木、苔類に至るまで細かい吟味が加えられ、深い趣きを醸し出しています。 |
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電信の黎明 大洲の先覚者三瀬諸渕 1853年、大洲市中町生まれの三瀬諸渕は長崎から持ち帰った発電機と電信機を使い大洲市を流れる肱川河原で電信実験を行った。のちにこの実験が日本ではじめての最長距離の実験だったことになり、最近ではアマチュア無線家のみが活用している電信の歴史を物語っている 三瀬諸渕のページへ |
漫画家 松本零士 想い出の地 大洲市新谷 「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」の作家 漫画家の松本零士先生は少年のころ、大洲市新谷の実家で過ごされました。 「大洲を舞台にした物語をこれから始める」と話された松本零士先生。そしてあの作品が。また母校の小学校にはなんと・・・・ このページで紹介いたします。 松本零士 スクープ情報のページへ |