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 悲報「銀河鉄道999」松本零士さん死去
   85歳 急性心不全 2023.2月13日

  星の海に旅立たれた零士先生を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます




 松本零士先生と大洲市新谷(おおずしにいや)  
 
                              実際に疎開された家から見た風景です。(神南山と国鉄内子線の汽車)

松本零士先生が新谷を舞台とする漫画を書かれていました。
この漫画には先生が幼少時疎開されていた新谷で終戦を体験され、一緒に遊ぶタクちゃん(実在の方で999に登場する星野鉄郎のモデルとなった方)と遊ぶ内容があります。


 松本零士と大洲市新谷「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」の作家、漫画家松本零士先生は少年のころ、大洲市新谷の実家で過ごされました。「大洲を舞台にした物語を始める」と話されていた松本先生。そしてあの作品が・・・。母校の新谷小学校にはなんと・・・・。
銀河鉄道999

 
 "銀河鉄道999" 壁画を寄贈 2012.6/26 NHK愛媛県のニュースで報道
2012年7月5日 漫画家松本零士先生が少年のころ通った小学校が新しくなり、落成式が行われました。
その小学校は愛媛県大洲市立新谷小学校で、松本零士先生のあの原画がいっぱい。
零士先生の世界の環境で生活できる子ども達、きっと大きな夢を持って育っていくでしょう。

         
紹介リンクサイ大洲市立新谷小学校ホームページ
       このサイトの公開を控えておりましたが2012.6/26日にNHKニュースで報道されたことをきっかけに公開いたしました。
 
 「人は生涯に一度だけ決心しなければならない瞬間がくる。
たとえるなら、列車に乗るか乗らないかで運命が変わる。
無限大の夢と可能性の中で、子どもたちに、夢という名の列車で、
自分の志を果たすために旅に出てほしい」  松本零士
   
 縦2.3m 横5.8mのフラスコ画は新谷小学校玄関の壁にあります
   
 
 ふるさとからの旅立ち
         原画制作 松本 零士
 この絵は、新谷小学校校舎改築に伴い、大洲市にゆかりの深い漫画家の松本零士(本名:松本晟)氏が原画を制作し、それを壁画として忠実に再現したものです。
 松本氏は、太平洋戦争末期、母親の実家のある新谷に疎開し、小学校1年から2年間を過ごしました。この絵には、松本氏が疎開中に仲間たちと遊んだ母親の実家近くの田畑や、列車が走る風景、本校の校歌にも歌われている新谷のシンボル的な神南山のある風景が描かれており、それらにまつわる多感な少年時代の記憶は、後の「銀河鉄道999」などの多数な作品に大きな影響を与えています。
 松本氏は、子どもたちが郷土を心から愛し、さらなる郷土の発展に貢献してくれることを願って、この原画を描いてくださいました。       平成24年
                                            (壁画横パネル全文)
 2012年7月5日 
新谷小学校落成式で壁画の除幕式が行われました。
松本零士先生もご出席になり壁画に直筆のサインが入りました。
 
 校内を少しだけご紹介します
2012年4月 建設中の新谷小学校で入学式があり、感動で手を震わせながらシャッターを切りました。
    
    
 学校中が松本零士の世界です。このような環境で生活できる小学生、うらやましい限りです。
   学年のプレートにはすべて999号のイラストです。「ヤマト」のイラストも見つけました。
 校長室は駅長さん。優しい校長先生が目に浮かびます。
 教室の名前にも工夫がされています。小学校のイメージを変えた子どもたちの学び舎です。
  また、始業前には銀河鉄道999のテーマソングが流れるそうです。



木造の校舎は木のぬくもりと香りで気持ちが落ち着きます 下の写真は1年生の教室です
裏庭にはガーデンテーブルはあちこちに配置され、子どもたちが給食などに利用するらしい
   
 学校見学について
校舎見学は、授業日は原則的にできないことになっているようです。
事前に見学の申込みをして、許可を受けてからだそうです。
 
 2004年7/17〜9/20 
大洲市で開催された「えひめ町並博2004」でのイベント、
【少年・松本零士展】で紹介されました。
●大洲で少年時代を過ごした漫画家・松本零士の知られざるエピソードを、
貴重なコレクションや映像などによって紹介する特別企画展。
         松本零士イベント報告サイト   詳細が紹介されています。
銀河鉄道999 原作者 松本零士氏の証言 漫画家 松本零士
「シーボルト・楠本タキの娘であるおイネの娘、つまりシーボルトの孫娘・高子と銀河鉄道999のメーテルがそっくりだというのは、偶然ではないと思う。
私の中のDNA(母は大洲の人)や遠い昔の記憶から、メーテルに着物を着せた姿は高子だと・・」漫画家・松本零士氏は語っている。
詳細は愛媛県発行冊子Ehimail vol.12をご覧ください

注)松本零士氏は、戦争時、母の実家である新谷に疎開して少年時代をすごしていた。
近年、大洲市新谷・瑞安寺で幕末に撮った高子の銀板写真が見つかり、氏はその写真の顔がメーテルにそっくりなので驚いた。

イネの娘・高子は、同じくシーボルトの弟子であった三瀬諸淵(みせもろぶち)と結婚。三瀬諸淵は大洲市、二宮敬作の甥で、日本初の電信実験に成功した学者です。
  
電信実験についてはここをクリック

 三瀬諸渕の妻高子
(シーボルトの孫娘)
町並博の開催をPRする ポスター
原画は、漫画家の松本零士氏(伊予観光大使)が、町並博のために描きました。
松本氏は、ご両親が愛媛県・南予の出身。ご自身も多感な子ども時代を大洲市で過ごされ、今も南予に対し、故郷としての深い思いを持たれています。
松本氏の代表作である「銀河鉄道999」の主人公、メーテルと鉄郎。999号の旅の途中、ふたりが初めて南予の町に降り立った、というコンセプトで作成したこの2種類のポスターは、今と昔、変わらぬ佇まいを伝える町並で、不思議な時空の旅をするふたりの姿を描いており、過去から現在、そして未来へと、旅人をあたたかく包み込む南予の町並の、いつまでも変わらないイメージを伝えています。

今回のポスターでは、松本氏のこれまでの作品にはない、着物と日本髪で和装したメーテルが初めて登場するなど、松本氏や「銀河鉄道999」のファンにとっても必見のデザインです。  
*このページに掲載したロゴ・資料はえひめ町並博実行委員会の許可を受けています
  メーテルと高子

松本零士が語る不思議な出会い

 漫画やテレビアニメで人気を博した「銀河鉄道999」に登場するメーテルや「宇宙戦艦ヤマト」のスターシアには、実はモデルとなった女性がいた! それも大阪になじみの…。彼女の名前は「楠本高子」。日本人女性初の産科医で「オランダおいね」として知られる楠本イネの娘だ。祖父は蘭学の父といわれるフォン・シーボルト。作者の漫画家、松本零士さん(73)は、自身の漫画家人生に大きな影響を与えた高子との不思議な“出会い”について語ってくれた。(松山支局 黒河仁朗)松本さんは小学1年だった昭和19年から20年の終戦まで、愛媛県大洲市の母の実家に疎開していた。後に理想の女性としてメーテルやスターシアなど、切れ長の目で顎の細い女性を描き続けたが、なぜそういう女性を描くのか、自分でもはっきりとは分からなかったという。その謎が解けたのは、15年ほど前のこと。同市に暮らす同級生から、明治維新前後に撮影されたとみられる1枚の写真を見せられた。そこに写っていたのが、メーテル、スターシアによく似た細面の若い女性だった。そのときのことを松本さんは「自分が描いてきた女性と気づき、大変な衝撃を受け写真に見入ってしまった」と振り返る。写真には20代の初めごろとみられる高子と、夫で大洲藩家中の三瀬(みせ)諸淵(もろぶち)の2人が写っていた。三瀬は、シーボルトの高弟でイネに医学を教えた二宮敬作のおいにあたる。三瀬も二宮から医学を学び、蘭学者の大村益次郎からはオランダ語をならい、シーボルトが幕末の安政61859)年に再来日した際には通訳を務めた。高子とは慶応21866)年に宇和島で結婚。「高子は当初、三瀬との結婚に乗り気でなく、イネが諭したそうです」と松本さんは解説する。明治維新後、三瀬は高子をともない大阪に移住し、大阪大学医学部の前身にあたる大阪医学校の教官や大阪病院一等医官を歴任。大阪の西洋医療の礎を築いたが、明治10年に39歳の若さで病死した。高子はこの約10年間、夫とともに大阪で暮らした。写真は大阪に来る直前、宇和島で撮影したものと推察される。あのメーテルのような女性が文明開化の明治初期に大阪にいたとは、なんともロマンをかきたてられる話だ。

◇東京都内の自宅で取材に応じた松本さんは、書斎の机の上に高子の写真とスターシアのイラストを並べ「そそとした切れ長の目と細いあごが同じだろう」と指さし、「この写真を初めて見たとき『私が描き続けてきたのは、まさにこの女性だ』と思い、ギョッとしましたよ」と話す。以来、高子について調べたという松本さんは「私の父も大洲市出身で、家に伝わる古い写真や言い伝えなどから、高子とも縁のある家だったようだ」と話し、「私が先祖から受け継いだ“記憶”が、スターシアやメーテルの姿を通して高子を描かせたのかもしれません」と感慨深げに語る。松本さんは生まれも育ちも福岡県久留米市だが、「血筋は南予(愛媛県南部)・大洲」と言い切るほど愛媛県への思い入れは強い。疎開時代は「とにかく悪ガキ。家の近く流れる肱川が遊び場で、フナやアユ、ウナギを釣り、野山ではハチミツを目当てにアシナガバチの巣を探した。柿を取ろうとして木から落ちたことは数知れない」とも。宇宙への興味をかきたてられたのも大洲だった。「父の双眼鏡からレンズだけを取り出して天体望遠鏡を手作りし、熱心に月を観察した。家の前にそびえる神南山の上に輝くオリオン座に心奪われ、いつまでもながめていた」そんな田舎での暮らしも、戦争末期には米軍機が姿を現すようになり、家の前で機銃攻撃にさらされ、慌てて物陰に飛び込むこともあったという。「終戦の玉音放送のときは、川で魚を捕っている最中だった。家に帰ると、祖母が日本刀を抜き『敵が来たら差し違えて死ぬ。おまえもサムライの子じゃけん、覚悟せい』といわれたことを今も鮮烈に覚えている」
◇松本さんは楠本イネを主人公としたミュージカル「幕末ガール」のポスター原画を書き下ろした。このミュージカルは愛媛県東温市にある「坊っちゃん劇場」で、2012年4月中旬から約1年間上演される。蘭学が隆盛した幕末の宇和島藩を主な舞台に、イネの青春時代が描かれる。11月、都内で開かれた制作発表には、脚本・演出の横内謙介氏、振り付け担当のラッキィ池田氏、愛媛県の中村時広知事らとともに松本さんの姿もあった。「ポスターは、私が描き続けた高子をモチーフに、若いころのイネをイメージしました。“郷土”愛媛のミュージカルを全国の人にぜひ見てもらいたい」と力を込める。
◇【プロフィル】松本零士(まつもと・れいじ) 昭和13年、福岡県久留米市生まれ。高校時代に漫画家としてデビューし、昭和46年に少年マガジンで「男おいどん」を連載。同49年にテレビ放映された「宇宙戦艦ヤマト」はアニメーションブームのきっかけとなった。「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」など人気作品を次々発表。日本漫画家協会常任理事著作権部長、財団法人日本宇宙少年団理事長、中央青少年団体連絡協議会会長、大和ミュージアム名誉館長などを歴任。平成22年、旭日小綬章授章。
c 2011 The Sankei Shimbun & Sankei Digital

 
 秘蔵のVTRが出てきました
38年前の1982年 まだVTRの普及がなかったころ、数年ぶりに新谷を訪れた松本零士先生を密着取材していた懐かしい映像が出てきました。カビだらけのVHSテープを処理して、再生してみました。懐かしい映像で鉄郎やメーテルの秘話もありました。
その後、これをきっかけに、零士先生は時々大洲を訪れるようになったそうです。
    昭和57年4月1日   1982年
 新谷小学校体育館落成記念講演会
   
「ふるさとと宇宙」
零士先生は子供たちに大きな夢を持つよう伝えています。
そして、「大洲を舞台にした物語を始める」と話されました。

ビデオには講演のすべてと懐かしい場所への移動、そして楽しい夕食会の様子が収められています。
また、この年7月に「わが青春のアルカディア」が映画公開されています。
    
最近になって見つけたVTR映像から (VHSテープのカビを処理してDVDに変換しました)
  
 疎開していた新谷での少年時代、おさななじみの野崎さん「タクちゃん」と久しぶりの再会の画像です。零士先生とタクちゃんの仲は1974年「松本零士自伝 昆虫国漂流記」(月刊少年ジャンプ)にも実名で出ています。そして、銀河鉄道999の星野鉄郎のモデルでもあったそうです。このビデオの中で説明をされ、タクちゃんの前で鉄郎の絵を描いておられる貴重な画像(動画)です。VTRで野崎さんは零士先生を「アキラちゃん」と呼ばれています。
           <松本零士先生のサインにはメーテルや1000年女王が多いのでは?>
また、野崎さんへの年賀状は先生直筆のイラスト入りできてたそうです。

 なお、野崎さんは現在は他界されておられます。おそらく天国で999号に乗っていろいろな星を旅されておられるのでは・・・・。      合掌。   
 
 ユーチューブでご覧いただけます
ビデオ公開中   ここをクリック
 

当時の零士先生の肉声がきれいに収録されています。貴重映像をぜひご覧ください。

   
 疎開先の家(現在)   疎開先から見えた神南山(壁画とそっくり)この前をSLが走る姿を見ていたのでしょう。
 そして、先生がいつも遊んでいた小川
松本零士先生の詳しい情報はこちらにも公開しております。
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